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ブラジルでタイムスリップしたお話。

2019.6.17

こんにちは。SS2課リーダーの井之上あゆみです。
社内では「あゆみさん」とか「あゆみちゃん」って下の名前で呼ばれています。
というのも、私の旦那も同じくBeForwardで働いているからです。

私たちは社内結婚したというわけではなく、去年の1月に私はエンジニアとして、旦那は営業として同時に入社しました。
それまでは、夫婦でバックパッカーをしていて、途中で帰国したりもしましたが、3年間世界を放浪していました。
特に南米が好きで、トータル1年半は南米をブラブラしていました。

皆さんは南米というとどういうイメージがあるでしょうか?
サッカーが強い、ワインが有名、マチュピチュ、ボリビアのウユニ塩湖の鏡張りは一時期ブームになりましたね!

いろいろあると思いますが、私が一番印象深かったのは、ブラジルのサンパウロの近くにある、弓場農場です。
そこは100年ほど前にブラジルに移住した日本人によって作られた、東京ドーム10個分の広さがあるとても大きな農場です。
何年も船に揺られてブラジルに渡り、自らジャングルを開墾して作りました。

農場内には池もある

農地はとても広い

その時のリーダーだった弓場勇さんが、農場のルールを
「農場内では必ず日本語を使うこと。ポルトガル語は禁止」
としたため、
普通、日系3世、4世ともなるとブラジル人化して日本語がしゃべれなくなるのですが、農場にいる日系の方々は日本語をしゃべることができます。

しかし、彼らは外や学校ではポルトガル語を使っているため、「いいえ」を「Non」と言ったり、「オクラ」を「キャーボ」と呼んだり
ときどきポルトガル語なまりになります。

農場は、お金の取引がない自給自足の共同生活をコンセプトとしており、毎日の労働と引き換えに寝るところと食べるものを与えてくれます。
旅人も、農作業をすればただで寝泊まりできるため、私たちは農場でおよそ4か月間お世話になりました。

私は、オクラやグァバの収穫やキッチンのお手伝いを行い、旦那は、草取りや稲刈りや炭作りなどを行っていました。

オクラの収穫

炭作りを行う

ちなみに、ピンガと呼ばれるサトウキビ焼酎もタダで飲めるため、畑でとれたライムを絞ってカイピリーニャというお酒を作ってよく飲んでいました。

ピンガたち

この農場では、移住したころの文化がそのまま残っており、醤油やお味噌、納豆、豆腐などを自分たちで大豆から作っています。

自家製の豆腐や納豆

さらに農場でとれたマンゴーやグァバでジャムを作ったり、豚の脂で作った洗剤で洗濯したり、質素ですが満ち足りた生活を送っています。

私は純日本人なのに、日本の調味料の作り方やお料理の仕方など全く知らなかったので、農場の方々に教わりました。
自分の国の文化を、日本に行ったことがないブラジル人から教わるという、何とも不思議な体験です。
さらに、日本の軍歌を歌える方もおり、なんだか戦前の古き良き日本にタイムスリップしたような感覚でした。

仕事の息抜きに南米に・・!というのは難しいですが、今でも有休や休日を組み合わせて海外に行ったりしています。
近場でもいいので、みなさんも海外に行って、いろんな文化に触れてみてはいかがでしょうか。


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